カキカキスケッチ~絵描きの家計簿~

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将来専業お絵かきマンになるために、資産運用と習慣の力を借りるブログ

正しいなんてない

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最近、小池龍之介さんの著書を読みました。

 

  ※小池龍之介さんとは、東大出の住職さんで、

   ブッダの考えを著作にて、現代の状況に合わせて

   わかりやすく教えてくださっています。

 

「苦しまない練習」「考えない練習」「しない生活」の三冊を読みましたが、

どれも読みやすく、生活の所々で感じていたけど、正体がよくわかっていなかった

煩悩の正体をビシッと解き明かしてくださりました。

 

2年ほど前に、「超訳 ブッダの言葉」という本を読んでいたのですが、

今回読んだ本の著者紹介の欄にて、

この本も小池龍之介さんが書かれた本だと知って、

ああ、確かにあの優しい文体は思い返してみると、

小池さんのものだったんだなあ、としみじみ思い返しておりました。

 

超訳 ブッダの言葉」を手に取った時は、私の人生の中で

少ししんどい時期だったのですが、

この時ブッダの考えを学べたことで

心が楽になり、それは現在にまで続き、

確実にこれまでの人生に比べて

心穏やかに過ごせてきたと感じております。

 

まあ、そんなこんなでブッダの考えが少しずつ

部分部分では身については来てはいたのですが、

ここ最近、またちょっと乱れてきたなと感じる部分があり、

今回また、復習がてら読んでみようと思ったのが冒頭の3冊でした。

 

ブッダの考えからはたくさん学べることがあり、

ここでも少しずつ紹介していきたいと考えております。

 

とりあえず今回はその中から、最近の私のモヤモヤにささった一つの考え

「正しいなんてない」ということについて書きたいと思います。

 

そもそも「正しい」って何のかということについて考えますと、

辞書的な意味では下記のようなことらしいです。

ただし・い 【正しい】

( 形 ) [文] シク ただ・し
物事あるべき姿考え,それに合致しているさまをいう。
三省堂 大辞林より)

「あるべき姿」という所に、何かモヤっとするところがありますね。

 

「あるべき姿」というのは誰にとっての「あるべき姿」なんでしょうか?

私にとって?あなたにとって?彼、彼女にとって?

それとも世間にとって?人類にとって?

主語を誰にするかでその意味はコロコロと変わってくると思います。

 

また、その主語を固定したとしても、人の考えというものは流動的でコロコロと

変わりますので、その時ごとによって「正しい」とする考えも変わっていきます。

 

さらに、時間軸も止めてみて、今現在の私にとっての「正しい」について考えてみます。

ここで例として私がいつも悩んでしまう問題である

「レストランで自分の大好物を食べるか、期間限定のおいしそうな料理を食べるか、どっちが正しいの?」問題を取り上げてみます。

結論から言いますと、どちらも正しく、どちらも誤りであると私は考えます。

 

大好物を食べたら、もちろん大好物でありますので、店側の料理人がよほどの下手か

悪意でもない限り、大抵おいしく頂けます。ただ大好物というのは大好物があるが故に、それまでの人生で何回も食してきたものでありますので、ある意味新鮮さがありません。

つまり、おいしいものが食べたいという考えからすると「正しい」のでしょうが、せっかくレストランという普段よりもお金を払ってたくさんの選択肢の中から、料理を選ぶことができる状況にいるにも関わらず、新鮮な体験が得られる期間限定の料理を食べないという「誤り(というよりかは後悔)」が幾分か含まれてしまいます。

 

逆に期間限定のおいしそうな料理を選んで食べてみてもそれが美味しければなお良しですが、不味くてもそれはそれで話のネタにすることができますし、この組み合わせで食べるとこういう味になるのかという経験にもなります。要は考え方次第、経験の活かし方次第で、どんな出来事も良いようにも悪いようにもできます。

 

こう考えていくと正しい選択肢を選ぼうと考えること自体が誤りであるのかもしれません。皆さんもネットの記事とかで、最近の研究データから人は直感に従って生きる方が良い結果を生む等の記事は見たことがあると思います。

 

よく考える人って確かに頭は良いと思いますし、尊敬できる面も多いのですが、幸せな人が多いかと問われると、どちらかというと不幸せな感じの人が多い気がします。それは、リスクのことばかりに目がいってしまい、その行動自体の楽しさや面白さに着目する時間が少なくなってしまうからかもしれませんね。

 

どんなに周りからの称賛を受けようと自分が不幸せであると感じる人生は僕は過ごしたくないと考えます。自分の選択肢の正誤を逐一確かめるようなことはせずに、選択した後はこれが僕の生き方なんだと自負できる行動をとっていきたいです。

 

要は過去を振り返るなということです。

 

結局、物事の正誤を判断してしまうのはその物事が過去になってしまわないとできないことですから